Archive for 7月, 2010

チェコの歴史 近代その2

チェコの歴史の中でも近代は国民に対しての圧政や監視が厳しかっ た次代の一つとなっているのですが、1980年代になると、民主化の動きが活発になりました。 これはチェコスロヴァキア社会主義共和国だけに限ったことではなく、他の共産主義国家でも民主化の運動が活発に行われるようになったのです。 チェコではビロード革命といわれる革命が1989年に起きてから、特に民主化の動きに拍車がかかるようになったのです。 この運動によって、1989年12月29日に、市民フォーラムという新民主主義団体の代表を務めていたヴァーツラフ・ハヴェルという人が大統領候補として出馬し、1990年6月に自由選挙が40年以上ぶりに行われるようになったのです。 そして1993年にチェコスロヴァキア連邦共和国は民主化され、チェコ共和国とスロヴァキア共和国の2つの国に分けられることになりました。 チェコは民主化されてからもすぐに国民の生活が回復されるということはなかったのですが、民主化されたことによって徐々に生活も改善されるようになりました。 そして北大西洋条約機構に1999年に加入、欧州連合には2003年に加入をしています。 チェコ共和国は今では歴史的財産と文化がある国家として欧州連合の一員として、ヨーロッパ地域に貢献をする国となっています。

チェコの歴史 近代チェコの歴史 近代その1

ここからはチェコの近代の歴史について紹介したいと思います。 チェコは第一次世界大戦で敗戦するまで、オーストリア・ ハンガリー二重帝国に属していたのですが、敗戦を契機にチェコスロヴァキア共和国として独立をすることになりました。 チェコスロヴァキア共和国が建国されたのは1918年10月28日となっており、トマーシュ・マサリクが初代大統領として就任しました。 第一次世界大戦から第二次世界大戦までのチェコスロヴァキア共和国は別名=第一共和国といわれています。 チェコスロヴァキア共和国は、機械産業がヨーロッパの中でも発達しており、産業や経済面でもヨーロッパ諸国の中でも先進国として名を列していました。 第二次世界大戦が終結されたことによって、チェコスロヴァキア共和国はソビエト連邦の傘下となり、共産党が1948年に政権与党となったことから、チェコスロヴァキアは協賛国家となり、1960年にチェコスロヴァキア社会主義共和国に国名が変わりました。 チェコスロヴァキア社会主義共和国となってから、1968年に共産党の改革派が国の民主化を推し進めようとしたのですが、ワルシャワ条約機構が民主化の動きを制圧し、それ以降はソビエト連邦が軍事介入をしたり、社会主義に反対をする人や活動を監視することになってしまったのです。 チェコの歴史の中でも、とりわけこの近代の時代が最も暗黒の時代だといわれています。